2013/05/15

Lojban Lessons - 10章 (PU, FAhA, ZI, VA, ZEhA, VEhA)

Lojban Lessons - 10章 (PU, FAhA, ZI, VA, ZEhA, VEhA)

 英語話者や日本語話者がロジバンに対して違和感を感じるところといえば、ここまで一度もテンス[注:いわゆる時制]について触れてこずに来れたところでしょうか。多くの自然言語(インドヨーロッパ語族など)と違って、ロジバンではテンスはあくまで「付属品」の立ち位置なのです。mi citka lo cirla {ku} は「私はチーズを食べる/食べた/いつも食べる/ちょうど食べ終わったところだ」のいずれも意味しうるのです。どの意味を取るかは文脈によりますし、日常会話のほとんどにおいてはテンスは全く必要ありません。しかし、場合によってはテンスを明示する必要も出てきます。さらに、ロジバンのテンスは基本的に時と空間を扱うものなので、自然言語のそれとは毛色が少し異なります。たとえば「私は昔働いた」と「私は北の遠いところで働く」は日本語では文法的に異なりますが、ロジバンではどちらもテンスを用いて表現できます。


 多くの言語と同じく、ロジバンのテンスの単元はいちばん難しいところかもしれません。しかし、他の言語とちがい、ロジバンのテンスシステムは完全に規則的で、かつ筋の通ったものです。selbriやその他諸々を修飾する方法を学ぶのにそこまで苦労はしませんから、恐れずにいきましょう。

 いや、selbriを修飾すると言いましたが、実はロジバンのテンスはすべてsumtcitaなのです。詳しいことをいえば、テンスは他のsumtcitaと少しだけ違うところがありますが、この違いはそこまで大事でもなく、余力があれば話そうと思います。テンスは他のsumtcitaとほとんどの点で同じで、たとえば、fa'orma'o(終端詞)はkuです。テンスの一部であるPUに属する語がkuで締められるというのが良い例です。
テンスsumtcitaには様々な種類があるので、日本人がもっとも親しみやすいであろうものから始めていきましょう。
pu - sumtcita: 
{sumti} の前 
ca - sumtcita: {sumti}と同じ時に 
ba - sumtcita: {sumti} の後に

これらは日本語の「以前」「今」「以後」のようなものです。しかし実際、二つの出来事が全く同じタイミングで起こることなどありえないですから、caはあまり有用ではありません。しかし、caは少しだけ未来と過去に広がっており、「今付近」くらいのニュアンスを持っています。これは、人間は完全に論理的なやり方では時間を知覚していないからで、ロジバンのテンスはそれを反映しているのです。

Side Note: ロジバンのテンスシステムは相対性理論に基づいているという主張をしばしばみますが、相対性理論は反直観的なものですから、しっかり勉強しないと理解できるものではありません。ですから、ロジバンのテンスを学ぶにはまず相対性理論を学ばなければならないということになります。実際はそういうことはありませんので、この主張はおかしいと分かります。


それでは、「私はここに来た後にこのことを言う(紙を指差しながら)」はどういうでしょう?

Answer: mi cusku ti ba lo nu mi klama ti {vau} {kei} {ku} {vau}

 会話ではふつう、これはどの出来事の後の行動であるかとかをわざわざ言いません。「私はコンピュータをあげた」という文では、その行動が「今」と比べて過去に起こったと推定できますから、sumtcitaに続くsumtiを省略することができます:

pu ku mi dunda lo skami {ku} {vau} やmi dunda lo skami {ku} pu {ku} {vau} 、

より使われる形としては、mi pu {ku} dunda lo skami {ku} {vau}

 このときsumtcitaを埋めるのは暗黙のzo'eであり、これはほとんど常に話者のいる時点/地点と理解されます(これは特に左右を言うときに重要となります)。今とは異なる時点で起こった出来事について話しているとき、テンスがすべてその出来事の時刻を基準に評価されることがあります。テンスがすべて話者の時点を基準にしていることを明示するために、nauはどんなときでも使えます。もうひとつ、別時点を新しい基準にするki というのもありますが、これについては後に触れることにします。

nau: テンスの基準を話者のいる時点/地点に再設定する
gugdex1はx2(要素/成員)・x3(領域)の国

また、mi pu {ku} klama lo merko gugde {ku}{vau} 「私はアメリカに行った」というのは、私が今もアメリカに向かっているわけではないということは示唆せず、ただ過去のとある時点(たとえば5分前)では真であったとしか述べていないことに注意してください。

述べた通り、空間テンスと時間テンスは非常に似ています。前の3つの時間テンスとこの4つのテンスを見比べてみてください:
zu'a sumtcita: {sumti} の左に 
ca'u sumtcita: {sumti} の前に
ri'u sumtcita:  {sumti} の右に
bu'u sumtcita: {sumti} と同じ地点に (caの空間バージョン)

o'o: attitudinal: 複合純粋感情: 我慢 - 寛容 - 怒り

.o'onai ri'u {ku} nu lo prenu {ku} cu darxi lo gerku pu {ku} {ku} {vau} {kei} {vau} はどういう意味でしょう?(最初のkuが省かれていることに注意してください!)

darxi x1はx2(対象本体)・x3(対象箇所)をx4で打つ/叩く

Answer: 「(怒) (何かの、多分私)右に、(何かの出来事)以前に、何かは人が犬を殴る出来事だ」
→「人が私の右で犬を叩いたんだよ!」

テンスsumtcitaが複数ある場合、読む順に処理していくという、「架空の旅」と呼ばれるルールがあり、示唆された時点と地点(デフォルトでは話者のいる時点と地点)から旅が始まり、読む順に旅していくのです。


mi pu {ku} ba {ku} jimpe fi lo lojbo fa'orma'o {ku} {vau} = 「過去において、私はfa'orma'oについて理解するだろう」
mi ba {ku} pu {ku} jimpe fi lo lojbo fa'orma'o {ku} {vau} =「未来において、私はfa'orma'oについて理解した」

どのくらい過去(未来)に移動するのかを指定していませんから、基準から見て過去(未来)でさえあれば、どんな時点でもかまいません。

また、時間テンスと空間テンスを一緒に使う場合、常に時間テンスを先に書きます。このルールを破ると、ロジバンが嫌いとする構文的曖昧さが生じてしまいます。

男がたった一分前に犬を叩いたと言うにはどうすればいいでしょうか。zi,za,zuは時間距離(基準からどれくらい離れた時点か)を表し、それぞれ短距離、不定距離(ふつう中間)、長距離を意味します。母音の順がi,a,uであることに注意してください。この順番はロジバンで何回も出てくるので覚えていて損はないです。「短さ」「長さ」は常に文脈に依存します。200年は進化論の話では「短距離」ですが、バスを待つことに関しては「長距離」です。

zi sumtcita: 基準点から時間的に{sumti} 相当の短距離で起こる
za sumtcita: 
基準点から時間的に{sumti} 相当の不定距離(中間)で起こる
zu sumtcita: 
基準点から時間的に{sumti} 相当の長距離で起こる

同様に、空間距離はvi,va,vuで表され、それぞれ短距離、不定(中間)、長距離となります。

vi sumtcita: 基準点から空間的に{sumti} 相当の短距離で起こる
va sumtcita: 
基準点から空間的に{sumti} 相当の不定距離(中間)で起こる
vu sumtcita: 
基準点から空間的に{sumti} 相当の長距離で起こる

gunka 
x1はx2(動作/行動)をx3(目的/目標)のために働く/労働/勤務する

次の文を訳しなさい: ba {ku} za ku mi vu {ku} gunka {vau}

Answer: 「遠い未来に、私は遠くで働く」

puやbaを前につけずに単独でzi,za,zuを使うことは滅多にありません。母語では常に未来か過去か特定する必要があるからです。しかし、ロジバン的な思考の持ち主なら、過去か未来か、はたまたその時間距離のほとんどは明らかであり、puやbaは余分なものと考えるでしょう!

方向性sumtcita(pu,ba,ri'uなど)と距離性sumtcitaを言う順番には違いがあります。

複数のテンスがあるとき、左から右へ読んでいき、「架空の旅」をすればよいというのを覚えていますか?ということは、pu zu は「昔」となり、zu pu は「今から遠い未来か過去における過去」となります。最初の例では、puは過去に始まることを示し、zuはそれが長距離であることを示しています。二つ目の例では、zuは今の時点から長距離の点で始まることを示し、puはその地点から過去に遡ることを示しています。ですから、puzuは必ず過去を指しますが、zupuは未来を指すこともあります。このようにテンスsumtcitaが結合する様は、他のsumtcitaと違う点のひとつです。テンスでないsumtcitaは、他のsumtcitaの存在によって意味が変わることがありません。

以前少しほのめかしたように、こういった語はbridiがあたかもある一点の時点/地点にあるかのように表現します。実際は、出来事のほとんどは時間、空間に一定の幅をもって存在します。ここからは、時間と空間の幅を指定する方法を学んでいきましょう。

ze'i sumtcita:  {sumti} 相当の短期間にわたる
ze'a sumtcita: 
{sumti} 相当の不定期間(中間)にわたる 
ze'u sumtcita: 
{sumti} 相当の長期間にわたる 
ve'i sumtcita:  {sumti} 相当の小範囲にわたる 
ve'a sumtcita: 
{sumti} 相当の不定範囲(中)にわたる
ve'u sumtcita: 
{sumti} 相当の広範囲にわたる

一度に6つも...と思うかもしれませんが、母音の順番(i,a,u)、頭文字が同じ(時間テンスではz、空間テンスではv)ということに注目すれば、覚えるのにさほど苦労はしないと思います。

.oi - 心態詞: 苦労・痛み - 喜び

次の文を訳しなさい: .oi dai do ve'u {ku} klama lo dotco gugde {ku} ze'u {ku} {vau}

Answer: 「君はドイツへはるばる長い時間かけて行った、ご苦労だったろうに」

空間テンスに慣れていない人がほとんどだと思いますが、これらは素敵な可能性の道を開いてくれます。たとえば、「あれは大きな犬です」は、ti ve'u {ku} gerku {vau} と訳せます。直訳すると「これは広範囲にわたる犬です」となって、ぎこちない感じがしますが、ロジバンではいたって健全です!

ze'uとその類の語は他のテンスと結合して合成テンスを形成することもできます。ze'uの類を使う際の規則は、それに先行するあらゆるテンスはその過程の(基準点と比較した)端点を表しており、それの後に続くあらゆるテンスは最初の端点を基準とした別の端点を表すというものです。いくつか例を見たほうが分かりやすいでしょう:
.o'ocu'i do citka pu {ku} ze'u {ku} ba {ku} zu {ku} {vau} - 「(寛容)君は食べる、それは過去に始まり、長期間を経て、開始点から遠い未来に終わる」 = 「はあ、君は長い間食べてるね」
この2つは対照的です:
do ca {ku} ze'i {ku} pu {ku} klama {vau}
do pu {ku} ze'i {ku} ca {ku} klama {vau} 
前者は、現在にひとつ端点をもち、過去に向かって少し伸びます。後者は、過去にひとつ端点をもち、その時点からその時点(ca)まで(すなわち、過去か未来かにほんの少しだけ)伸びます。

jmive x1はx2(観点/基準)において生きている; x1は生物/生体/有機体

.ui mi pu {ku} zi {ku} ze'u {ku} jmive {vau} はどういう意味でしょうか?

Answer: 「(幸せ)私は少しだけ前から未来か過去(文脈から未来なのは明らか)に向かって長期間生きている」、つまり、「私は若い、そして人生まだまだこれからだ(^o^)」

空間テンスにも同じことが言えます。
[注: mi ca ze'u pu bajra は、「私は今を端点にし、そこを基準に過去をもうひとつの端点にして走る」、つまり、「私は過去から今まで走る」となります。]

.u'e 心態詞: 驚き - 平凡

.u'e za'a {ku} bu'u {ku} ve'u {ku} ca'u {ku} zdani {vau} - どういう意味でしょう?

Answer: 「(驚き)(私は見た)ここから前方への広範囲で、家だ」、つまり「わあ、前方の家は巨大だな!」

この量の多い、文法的にもヘビーなテンスシステムの続きをする前に、知識を定着させるために10分以上、頭をリラックスさせることをおすすめします。歌をうたうとか、クッキーをとてもゆっくり食べるとか…心が休まるならなんでもいいので。


1 件のコメント:

  1. 例題の「ba {ku} za ku mi vu {ku} gunka {vau}」ですが、訳文から見るとzaは少し変では? zuのような気がします。

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